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うれしの茶の歴史

 佐賀県は、お茶栽培の発祥地として日本茶の普及に広く貢献しています。
 
1191年
茶栽培の発祥の地、東脊振村・霊仙寺


日本のお茶栽培は、1191年臨済宗の開祖栄西禅師が佐賀県の東脊振村の山腹に、宋の国から持ち帰った種を播いたのが始まりです。
栄西は明恵上人の3粒のお茶の種と栽培や製造方法を伝授。これが後の宇治茶につながり、また駿河(静岡)にも広まりました。


▲栄西禅師

▲記念碑

1504年
釜炒り茶発祥の地、嬉野町


明の陶工が焼き物文化と同時に自家用のお茶の栽培を嬉野町にもたらしました。
1504年には、陶工、紅令民が明から釜を持ち込み、南京釜による炒葉製茶法を伝えました。これが嬉野式の釜炒り茶のはじまりです。


1593年
佐賀県鎮西町名護屋城にあった豊臣秀吉の茶室


桃山時代、秀吉が鎮西町名護屋城に建てたのは、わび・さびを追求した簡素な茶室「草庵」でした。博多の商人の日記には「御座敷四畳半、柱もその外みな竹なり」との記述が残ります。秀吉の野望と共にわずか数年でその姿を消した。謎の多いこの城で、茶がたてられていたことだけははっきりとしているのです。


▲名護屋城跡

1600年
鍋島藩の茶道「薮内流」


関ヶ原の戦いで豊臣方についた鍋島藩のお家とりつぶしを救ったのは、西本願寺と園光寺、そして京都の茶商上林之人です。鍋島藩はお礼に、上林を藩おかかえの「永世用達」茶所にし、また、西本願寺の推薦する茶道「薮内流」を藩の流派に決めました。


1651年
うれしの茶の父、吉村新兵衛


吉村新兵衛は嬉野町不動山の山林を拓いて茶樹の栽培を奨め、茶業の発展に努めました。茶樹の育成に適した嬉野は茶の一大産地となりました。
不動山の「大茶樹」は吉村新兵衛が植えたと伝えられ、国の天然記念物に指定されています。


▲うれしの茶発祥の地

1736年
佐賀県生まれの煎茶の祖


「ただ飲みも勝手、ただよりはまけもうさず」
京都で茶店「通仙亭」という日本初の喫茶店を開き、庶民に煎茶を広めた「売茶翁(ばいさおう)」は佐賀市蓮池町の出身。
当時、位の高い人の飲み物だったお茶を広く流行させたのは「売茶翁」の人となりのおかげです。


▲売茶翁(ばいさおう)

1760年
江戸時代にお茶の輸出


嬉野茶はオランダ商社によって長崎から輸出されました。横浜港開港により日本茶輸出が正式に始まる100年も前のことでした。


1853年
長崎の女性貿易商、嬉野茶を世界に売り込む


長崎油屋町の茶商・大浦慶は、オランダ人テキストルを通じ、嬉野茶の見本をイギリス・アメリカ・アラビアに送りPRしました。そのかいあり、3年後にはイギリスから60トンという大量の注文を取り付けることに成功しました。


品質にこだわる“うれしの茶”の
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